余地

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一つ思い当たる。

どうも最近、釈然としないとぼんやり思っていたこと。

他人と話していると
これは良い、これは悪いと振り分けていることが多いのに気付く。
その話に僕は頷きはするものの首は下ろしきれない。

そんななんでも100%良いこととか100%悪いことなんて
そうそうないのです。
なのに勧善懲悪の様に皆が話すことにどうも違和感を感じていた。
今日の話題は学生運動。

これは良い、これは悪いと振り分けて
ある意味、決めつけてしまうとそこで思考は停止する。
本当は色んな要素や選択肢があってその先に広がるものは樹形図の様に無限大になるのに
思考が止まるとその要素や選択肢は存在を消してしまう。

ある一つの物や事の価値は
一点から観ても平面でしか捉えきれない。
けれど視点をたくさん持つ事により、一点の数が増えるのだ。
だからもうちょっと立体に観る事が出来る。

そうそう
僕が思うのは、余地を残して欲しいということ。
僕は、火の鳥 鳳凰編の我王も茜丸も両方憎めないのだよ。


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2011年07月14日 Posted byaura at 06:36 │Comments(1)日記

この記事へのコメント
白熱されていて何よりです。
学生運動という言葉は、久しぶりに目にしました。
楽しそうなテーマですね。

うちの先生は、分けて考えることを「物事の分節化」という言葉を使っています。戦後における日本の哲学者、廣松渉氏の書籍に出てくる単語です。そして、先生は「物事は多面的なのに、なんで分けて考えたり、決めつけたりするのか!!思考停止だっ!!!」と、いつも怒っています。

また「思考停止」というキーワードが出てくると、大体にして、こちらは「学問の時代の終焉」についてからはじまり、そのまま「今の時代、私たちはなぜ学問をするのか」という話題で話が展開されます。

ま、それはいいとして。

物事や事象を、良い悪いと決め判断する世の中で、特をしているのは、いったい誰なのでしょうか。

「ある一つの物や事の価値は、一点から観ても平面でしか捉えきれない。けれど視点をたくさん持つ事により、一点の数が増えるのだ。だからもうちょっと立体に観る事が出来る。」

↑数学チック♪
Posted by あねごん at 2011年07月14日 19:43
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